自然に生きたい、あなたへ

ミクラタナの御名と日月地の御名

日月地を貫く御存在を考える


日と月と地という〇を、串団子のように一線が貫いている様が、御頸の珠であって、その御頸に宿っているのが、一線であると思うのである。


日月地はミロクであって、「ミ」であり、「三」元素を発する元である。三元素は、日月地の世界において、地に存在する生命体にとっての素である。

日月土それぞれの素である火素などを辿ってみたところで、それは第七次元第六次元といった、われわれ地球人にとっては直接的に望む「力」ではなく、「力」というものは、先に「霊素と物質元素」について述べたとおり、幾重にも火水重ねたところの目的の「力」であらねば、人間にとって、また人間世界にとって、理想にしていく具体的な「力」とはならないものと思うのである。


「三」元素が基ととして、「ク」は九(きゅう)であり球(きゅう、たま)を貫いている。

珠の性質をみると、

太陽は「火水土」
太陰は「水火土」
地球は「地火水」

球の世界をみると

太陽はその性質が三段階
太陰はその性質が三段階
地球はその性質が三段階

となっている。


貫いていくと、駒に芯が入ったごとくに、回転を始める。

回転は螺旋であるから「ラ」である。

ミクラタナの神様が、3000年前に少し現界から退かれたときに、

この貫いている地軸が傾いたものと思うのである。


〇に十とは、日月の球ともいえるが、日と月を貫いて、大地に日と月が結んでいる様であって、それは田の字であるから「タ」である。


こうして、日月地を貫いた串団子は、「七る」ということになるから、「ナ」の働きで結んでいる。

主神様は日月地の球、それぞれの次元を貫く御存在であって、地球にたいして日月を注ぎこんで回転させて、地球を成らしめておられる、そういう御働きをミクラタナの御名として示しておられると思うのである。


こうして、日月地大御神様とは、ミクラタナの神様があって初めて存在し得る御働きであって、チョンがあって〇が存在し得るという御関係にあるものと思うのである。もちろん御教えどおり、日月地大御神様は「王」であって、チョンが上に乗られると主の御働きが表現されるのである。


そうして、「御頸珠」とおもわれる「日月地の球」が、完全一致して数珠のごとくに完成したときに、御頸珠が復活し、「日月地」に「チョン」として入られることができるものと思うのである。ちなみに、日月地の御働きが最高であって、そのなかに日月の御働き、日の御働きがあるのであって、いろんな神様が働かれるのである。

チョンはメシヤとしての御働きをされるにあたり、なぜ日月地が先に出でねばならないか。それは、主神様もミクラタナの神様もメシヤ様も、ほかの神々様からみれば同一のごとく「チョン」であって、メシヤ様がチョンとして、メシヤの御働きを神々様がなされるものと思うからである。そのメシヤとしての御働きをされるという現れが、人の姿である。

人の姿のメシヤの御働きをされる日月地という珠に、ミクラタナの神様が宿られることになり、その次にミクラタナの神様がチョンとして〇のメシヤ様として現れたときに、指揮者と演奏者のように、メシヤ様は日と月と地の「神様」を統一して駆使され、いわば日だけでもなく日月だけでもなく、つまりバラバラではなくて三つが一体となって、三界を理想に正して統一されるのであって、地は天国人、地上天国に完成される。火と水と土の「元素」を駆使されるというよりも、火と水と土という根源的神霊粒子、本質の働きを駆使されて現れたところの根本的な「日と月と地の神々様の御働き」を一緒にして駆使されるものと思っている。


ミロクの大御神様を考える


『火水土 三位一体の御力を 具えて出でます五六七大神』

『日月地 三位一体の御力を 具備して出でます彌勒大神』

祝詞の場合
   日月地の大御神……
   惟神霊……
 とおあげいたしますか、それとも
   日月地の大御神……
   大光明如来……
   惟神霊……
 とおあげいたしますか、またお仏壇にお詣りの時、祝詞または善言讃詞の後に、幽世の大神守り給へ幸へ給へと申し上げるのですか、その場合拍手は三拍手でしょうか。

『光明如来から日月地大神になられる。光明如来は仏である。仏は夜になるから、夜は大光明如来の御名を称える。神様は朝になるから神名は朝お称えする。』

『日月地大御神は、主神の代りとか、代表神で、最高の位であり、五六七の力を持たれている。キリスト教のエホバ、支那の天帝とかである。(S24. 8.18)』

『宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、この本質が火水土であるから、この三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。』(文明の創造)


日月の神様である伊都能売大御神様(光明如来様)が土の現界に御出ましになったという事と、伊都能売大御神様に「土の働きが加わる」という事とは、意味合いは異なる。出世という次元世界に出ても、その次元で存分に発揮できる働きがなければならない。

土が加わらなければ、地の世界では「完全の働き」が出来ないだけではなくて、大宇宙の全体世界からみても、日の世界と月の世界という天の世界だけでは片手落ちとなるわけである。もちろん完全の働きとは「日月地の働き」であり「王」である。「王のなかの王」が「チョン」であって、「王」の上にあって王を駆使されるのである。

では、「日月地の神様」が現界に出られると、どうなるのかをもう少し詳しく書いてみる。「働き」と「現れ」はどうなるを書いてみるが、まず、そもそもそれらの始原を考えてみる必要がある。

「陽」と「陰」と「結んで成る」という元素の性質は、神々にも人にも、次元世界にも一切に及んで構成している性質の基であることは言うまでもない。一が陰陽二つに分かれ、陰陽結んで子たる三が生まれ、それらの子は簡単には陽陽・陽陰・陰陽・陰陰であって東西南北あるいはタテとヨコというように四方に拡がって初めて、火という五が起こり、次に水という六が生じ、水は水陰と水陽を生じてそれらが結んで土が生じ、そうしてあらゆる創造が可能となって、創造が末広がりに拡がり、究極に至って、本当のものになるということが「十」であり「神」であり、その次元を「神世界」という。それは理想であって、一から発した理想の創造が天地八方に拡がり充満した世界である。

こうして、「神々様」が「現れ」(体)とともに創造されたのが太陽系である。天之常立神様(五の神)~天照皇大御神様(日の神様)は太陽を、妻神様(六の神)~月読神様(月の神様)は月を、国之常立神様(七の神、体の霊)~地の神様(土系統神)は地球をということになるのであって、神様には「霊」と「体・表現」があるということであって、神様の働きも、具体的に地に表現されてこそ、霊体一致して理想天国を創造していく神である意味を達するのである。であるから、この世に御出まし願うということをやってきたのある。

「日月地の順に成る」ということは、どういうことかと言うと、「それらは神様の現れ」なのであるから、「日の神様、日月の神様、日月地の神様が順序正しくなって現れ達していく」ということが重要であって、「順序正しくなってこそ、それぞれの神様としての本当の御働きが現界に成ることが出来る」ということであって、そうして日月地統合した神様の御働きは、理想世界の完成であって、その理想世界とは、「正しき御代」であって、何が正しい世界かというと、繰り返しになるが、やはり日月地の正しい順序をもって、その御働きが現次元世界に現れることが正しい世界なのである。

日月地というのは「順序が正しくなって統一したもの」であって、日蝕のときのようにタテに並んでその「順序」という「律」が示されるが、五六七は時間軸でヨコにあるともいえるのである。三の字が日と月と地であり本質は火水土である。それらを貫いて完全にならしめる「一線の働き」があってこそ日月地一体、「王」となるのである。

こうして、本物の上中下というような正しい位置をしてこそ世界は統一されるということであって、全てにピラミッドのごとく順序が細分され、「日月地の世界」とは、「日月地大御神様の御働きが世界中に発揮充満」されるからこそ、細かい至るところまで、すべて構成は立体の三段階ずつとなって「三六九の完全世界」ということになるのである。

それが完全の働きであるが、完全の働きが完全に発揮されるということは少し意味が異なる。完全に発揮されるということは、「王」を「チョン」が指揮されて、王が演奏するが如くであると思うのである。


日月地の世界、三六九の世界を「成らしめる神様」について、触れておく。

昭和二十六年御垂示

御質問 地上天国に三次元の始まりが出ておりましたが、二次元の始まりが一九三一年とお教えいただいておりますが、それに五十年の開きがありますが、どういうわけでございましょうか

御垂示】明治十四年が一八八一年になるんです。一番目は経です。二番目は緯で、三度目は本当なんです。火水土。三つというのは完成の数字なんです。日月地。天地 人。というのは三つを貫いて、完全の姿です。それで、神幽現。昭和六年六月十五日が神界の黎明。昭和十六年六月十五日が幽界の黎明。二十六年六月十五日 が現界の黎明になる。それで五六七です。

御質問 霊界の構成の第一天国は、お書きのときはできていなかったのでございましょうか

御垂示】そうです。

御質問 そのときの国常立尊のお働きについてお伺い申し上げます

御垂示】審判の働きなんです。完成すれば、国常立尊働きが違っちゃう。完成の働きは五六七と言うのですね。

昭和二十六年御垂示

御質問 死霊など憑依した場合、日月地(みろく)大御神様の三唱でよろしゅうございましょうか

御垂示】良いです。つまり、観音様が出世されて光明如来様になり、また出世されて日月地大御神様になる。出世というのは世に出ると書くでしょう。これが本当の出世になる。これより、神様が表面に出るというのですね。


そうして、日の神様と月の神様はそれぞれ正神界があって、月の神様には邪神界があって、「順序」を正せば自ずと日は月の上にあって照らし、日によって月の悪は浄化されていくのである。この正された神界が、幽界においても及んでいき、それを現界に現出させるには、神界・幽界・現界を「一線」が貫いて「正神」の働きが起こっていくということになる。ここに地上は神世界となるのであって、いわば神界が幽界を光明に照らして幽魂を否応なしに照らすことになるとともに、現界に光明が照らすのであるが、「日月地大御神様の御働き」が強まるにしたがって、三界が「同時」になっていくのである。いうまでもなくそれは、綺麗なものは残り、汚いものは厳に照らされるために浄化し、汚れは滅びるのである。

それは私たちの先祖様私たちの幽魂がいる霊界から始まるのであるから、たとえば現界で罪を犯すと直ちに幽魂は落ちるが、逮捕されて処罰されるまでは「時間」というものがあって、その間反省すれば自首して幾分の「猶予」も許されることであった。しかしながら、「同時」になると、日常の罪は諸々あるが、「猶予時間は無くなる」ということで即それが自身に降りかかってくるために、どうしても高い位置に安住できる魂になっておかなくてはならない。そもそも人間の罪というものは、人類全員が罪の重みによって滅びるということは御歌にもよくよく歌いこまれているのであるが、信者は「確固」とした霊層界にまで安住しておなかければ、そうした人たちを救うどころではなくなってしまうのである。

日月地大御神様の御出世の意味を考えるときに、それは「順序正しくなって完全に理想にする御働き」ということと同時に、「不順や悪は善人悪人問わず含まている以上、決定的かつ完全なる御力によって、浄化されていくということで、悪人ほど大浄化となっていく」ということが始まると思うのである。しかし、人は過去を知らない。信者は人を救いたいと思っているが、人を救う立場に上がっているほど、大きな罪を背負っているということでもあって、それゆえに、本当にお詫びして浄化と天国建設をお許し願って臨むべきかと思うのである。


なぜ魂は陰陽神霊粒子の組み合わせでできていながら意思を発して自由に生命たるのか、生命という一つの力すなわちエネルギーであり得るのか、その根源を考えねばならない。どの神々も同様のことがいえるのであって、その根源は主神様のそうしたふうにならしめる「徳」であることにいきつくのであるから、魂は本当に主神様の分霊(分魂ではない)であって、そこに日、日月のカミの性質があって、肉体は太陽系そのものであって、そうすると「天」と人たる「地」は一体として、天は地に影響し、地は天に影響し、そうして天地間にも影響している。

こういうことであるから、人間とは、すべて「天」のままに一対して「地」として動くことができるパーツを全て持っているのである。このことを〔非公開〕で詳しく書いたのであるが、ずっと天地相互作用し、天地および天地間も含めて曇り極まった時期を定めて、神幽現の三界すべての次元空間およびエネルギー体を清掃して、本来、主神様から分け与えらている分霊を目覚めさせ、埋もれた能力を発揮させるために、主神様と直接繋がることが許されて、「光」と「力」をいただいているのである。主神様直系神様や表現神様と距離が近かった私たちこそが、人類を代表し模範であらねばならない理由は、未来永劫にわたる光栄のために、という大愛と大恩恵に尽きるのである。

この大愛と大恩恵を感じ取ったならば、わが心身の粘着性は涙とともに溶解していき、自ずとお詫びと感謝に向かうことだろう。





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