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日月地大御神様

日月地大御神様に想うこと


大国常立之大神様は物質という原子現界に御姿を現されたときは金龍神という神であって、神にも始めから人の姿と龍体と両方がある。

しなしながら、創造主は造物主である大国常立之大神様でもあって、物といっても「体」という「現われ」のことであって、まだ宇宙次元の無かったときに、大宇宙を創造されんと原子と一体となる霊という現われを御創造されたものと思うのである。


ただ「霊」といっても、日の神、月の神その他もろもろの神様の創造もそうであって、そうしてそれぞれの御神体の創造としては、まだ人体は先の話であるので、さきに太陽系を創造されるのであるが、それに当たっては地球でである。

いろいろから考え得るに、まず御自らが宇宙の中心たる地球の中心に御鎮まりあそばされ、これを御中主大御神様ともいい、ガイアともいい、生命神ともいうが、その「玉」を中心に玉を「□」のように囲うと国という字になるが、そうして大国常立之大神様は金龍神として御自らを分神霊され、産むべき地球のなかの日のもととなる位置を軸として、そこに垂直に立たれて、一方、原子創造の妻神の銀龍神は対照となる位置を軸として十字に結び合わさって、霊体一致の力を産み、無次元空間に霊と体とそれらが一致するように放出したのであるが、この霊が左回りであり体からみれば右回りであり、この体が右回りであるが霊からみれば左回りであり、結んだところに全て生命力が生じ、生命は左回りとなるのである。そうして思うに、霊は宇宙の中心から上昇し、体は宇宙の側から中心に下降する。こうして宇宙の中心から360度に向けて放出された霊の詳細は、金龍神から火・水、そうして水と水が合わさったところの土であって、原子は妻龍神から原子というわけである。

そうして宇宙の種は、太陽の中の創造主の御意思が地に写ったものである。


こうして太陽の霊と太陽、月の霊と月というようにして、さらに日月をもとに他に五種、五大星をつくられたのであるが、この五は日とも書き、五種類は全物質の元となったのであるから、火性が第一的な霊として、日月地というように太陽系を御創造されたといえるのであろう。

『日月地の 深き恵みに幹太り 枝繋るがの我神業かも』

そうして、火・水・土から日月地が創造されたのである。もちろん、太陽の中に水と土があって、月のなかに火と土があって、生命の種が静まる大宇宙の中心である地には、日からの火と、月からの水が調和した十の性が、一に降り立っているので、土という形に也るので「地」というものと思うのである。

太陽も月もすべてが、「地」のためにあり「地」を中心に回っているという理由が以上触れたところでもある。

こうして、この物質世界はさきに述べたとおり水の精がもとであるから、宇宙素は科学上でも水素であって、水素は陽子一個と電子一個という構成であって、そこからヘリウムという太陽素ができている。科学的には水素の核融合でヘリウムを主として他の元素も放出されている。こうして宇宙が満ち満ちて、物質の結晶も六角形が最強である所以である。

そうした水のなかにあって、進化発展する理は、たとれえば水のなかで平泳ぎをするがごとくと思うのである。進む手足は、手の動きをみれば、左回りと右回りが同時に行われ、どちらの手が上か下かの話は、また霊と体に分かれて考えることができるが、それは精神と動きである。こうしたことは、人それぞれの結掌の形をみれば面白いものと思うのである。


月が主の観音様はもちろん悪人でも改心なくとも慰めるという精神的救いだけはなされるのであるが、主神様が創造された夜の時代は悪人となるのも当然であるからである。これは月土日であって、本当の働きはできなかったのである。

日月が、「裁き」と「救い」の働きであるが、日は月に優先し、善悪を立て分けて、悪を認めさせ、その悪を善へと救うというのが真意であるかと思うのである。

日月が伊頭能売大御神様の御働きであって、もちろん人間は裁きというタテの精神は、自分を裁いて己に克つ魂であって、それを開花させることに懸命でなければならないので、これで神様にお手数をおかけせずに、そうした御働きに沿うということになってくるのであろう。

日月の神様が、一の大地たる地球に現れるということは、大変光栄で有難いことではあるが、その御働きだけでは、地上天国はつくれないのである。

冒頭書いたように、火水土の霊が調和して初めて「完全」になるのであるが、完全が成るところがこの一の大地であらねばならない。つまり現界である。

日の神様、月の神様、日月の神様まではわかっているが、土の神様が何かということである。それが冒頭書いたところの、造物主は土の世界を作られたことと、地球たる土の中心には何の神様があるかということである。

三は三、六は三と三と足したところの六であって、九とは三三三を足したところの九であって究極の形態で、三は三種三層といった構成の意味である。それを「みろく」と呼ぶが、その構成が日月地それぞれに当てはまるため、日月地も「みろく」と呼ぶのが適するのだろうと思うのである。

九の字も、火と水を結んで回っているのであるが、字の羽の具合からして、「力」は霊で、その現われが体で霊で「九」であるともいえるかと思うのである。いいかえれば「力」が「光」という霊で、「九」は光の現れともいえると思うのである。

日月土のなかに、日のなかにも「一」があるのと同様に、土のなかにも「一」があるのは何故かということになるが、天地合わせ鏡である。

日月神のお働きは、「裁き」「救い」で、結んだ光が「大光明による大浄化」となってくるものとも思うが、土は「統一」ということであるが、「一」にしていく働きでである。火と水が結んでそれが大地に立つ形であるが、その形そのものが土という字である。

そこで、統一にたいしては、「反統一」という作用が応じて強まるのが自然の理である。そこで「千手観音」様という、御本体である国常立尊様の絶対に悪に負けず悪を裁きのもと、悪を善に様々な力を「具現」して変えていただかなくてはならないので、日月地というお働きによって「完全」な369世界を実現していくためには、この世が悪複雑極まり方策途方にくれる世にあって、絶対に不可欠の御働きであると思うのである。いわば絶対力には、地上天国に必要なさまざまな御働きのある御力が必要といえるか思うのである。


そうして来年の話となるが、三三三である三月三日は、その日から三六九を世に具現していかねばならない。そのお働きを統べるお働きが「主」「大」であって、いわゆる日月地の御働きを、具体的に指揮あそばされなければならない。その御方こそ、宇宙の種であって、その御働きになられるときにメシヤ様という。

宇宙の種から発せられる霊が地球大までひろがったということは、宇宙の種の御方のほうでは○にチョンが整ったということであり、あとは種の御性質がメシヤとなられれば、同様に地球をメシヤ様が発せられる光が地球大にまで拡がるというこであって、つまりメシヤというお働きをそれぞれ担う日月地という働きを統べて(大)日月地の御働きが具現するということであると思うのである。

そこで、指揮者のメシヤ様の指揮のもと、日月地の神力すなわち大光明の「具現」によって、自らも世も善と悪はしっかり区別され、自らだけではなく世も認識され、右回りの悪や汚れを左回りの善に変えていくという真の力、光を拡大しつつ、真に求心され一つになっていくのであろう。



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