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神様をナメたらあかん

【日記】諸事総論


 神様をナメたらあかん


世にいろんな宗教や信仰的慈善団体がある。

いろんな神様のことを知って、

それを知らない人に教えてあげると、

とても喜ばれたり、また道を正すと良い道の結果が出るから

どんどんそこにのめり込む。


すると、教える側は、いろいろ知ればしるほど、

深く考えれば考えるほど、

いろいろアレコレ「思いつく」ものだ・・・

ハテ?それは正しいのか、どうだろう?

と、また最大限自分なりにいろいろ考えて、

そうして出したものは

だいたいは「正しいだろう」と思い込んでいるのが人の常。

実は、当然に、当たりのときもあれば、

ハズレのときもある。


悪5割、善5割の自分であると

神様のことは知っているが、本心はそう求めていない。

それでも、何らかのキッカケで

神様を上辺でも真っ直ぐ求めているときは

なんとか、そのラインは維持できたり、

善6割となっていったりもする。

何かのキッカケで神様から離れて隙が生じたとしても、

もともとの状態に戻れば

善も悪も強くない。


しかし、

悪6割、善4割の自分であると

神様はどうでもいい、悪が楽しい

時間が一日の大半を占める。

それでも、何らかのキッカケで

神様を上辺でも真っ直ぐ求めている一時は

なんとか、悪5割、善5割となって

善6割となっていったりもする。

何かのキッカケで神様から離れて隙が生じた場合は、

五割五割のように穏やかにはいかない。

何とか繋がっていたゴムがパチンと切れるように

心の岩戸の閉じこもるというより

悪に入っていくので、

悪多き生活をおくることに戻る事がおおい。


人は、悪が多く占める自分であることを

実は自分は知っている。


そういう自分が、

神様や天皇陛下を模範として

目指していこうと思うのであれば、

それは相当に「真剣」に強く求め続けなければ、

ゴムパッチン、痛いのである。

ましてや人の上に立つということは危険である。

出来た隙から、急展開していろんな悪が

噴出し、悪を撒き散らすからである。

仮にももし自分が高いところにいると、

急転降下をすると同時に激痛を伴うのである。

そうして、

「隙」は、慢心ととり違いを自覚できず

平然と神様をナメることになる。

それはイコール、悪を好むことになる。


生半可どころか悪に染まりやすくなった我々人間は、

覚せい剤同様になって、神様の考えを「こうだろう」

とナメて勝手に推測しだして悪に走りがちだ。

これは麻薬同様、なかなか抜けきれるものではない。

そこに、いきなり、高い精神を永続的に求めるには、

相当に情けない自覚と、相当の覚悟がいるのである。

しかし、麻薬というものは逮捕されたとしても、

麻薬抜きをしなければならないのであるから

入れた麻薬は、抜いていく努力しかないのである。

その努力とともに精神を高めていくしかないのである。


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