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霊素と物質元素

霊素と物質元素


原子系も太陽系も、物質世界での現れは原理が同じである。


物質界は原子界であって、原子は水素が基である。水素原子は陽子と電子だけしかなく、唯一、中性子が無い陰陽一個ずつだけの原子であるからである。太陽も地上もほとんどがこの水素で占めている。

水素だからといって、水という意味ではない。むしろ物質という意味であって、物質世界の基となる原子であって、御教えでは宇宙素という。


電子は原子のなかで最も小さい。

陰電子と陽電子が結んで生んだ子が「霊素」であって、霊素と霊素を結んだ子が「電子」という物質である。

科学でいわれるとおり、陰電子と陽電子のように、物質と反物質が結ぶと「光」となって両物質は消滅する。消滅したものが真空にあって、真空に粒子をぶつけると反粒子が生まれる。

これは科学でわかったところの一つの原理であって、本当は、「霊素」とは「光の霊」というエネルギーであって、「陰の光の霊」と「陰の光の霊」を結べば電子という物質が生じていくということである。光とは「力」であり「エネルギー」であるから、霊的な「マイナス力」「マイナスエネルギー」と言い換えてもよいものと思う。

そうして、物質になった電子は、マイナスの電荷をもつ。

ここまでが簡単に思い浮かぶことである。


一層深めて考えると、マイナスという陰という中に、さらに陰陽があって、その陰陽が結んでマイナスの「力」が生じて、マイナス力とマイナス力を重ねていくと、物質になるということである。

これをさらに詳説すれば、霊界において、「陰の神霊粒子」が二個あって、互いに引き合い、それぞれ自転と公転のように回転を始める。公転している外側が自転粒子の回りを回っていき、速度が上がるほど、自転粒子の近くに行けば自転粒子へ引き付けられる引力が生じていき、自転粒子の外側に行けば、重さというものが生じて遠心力という力が生じるようになっているが、どんどん速度は光速となっていく。

そこに陰の神霊粒子が1840個ほどやってきて、遠心力によって、「一個の大きなマイナス粒子」となるのであるが、このときに「陽」の性を帯び、これが「陽電子の霊」であろう。そうして自転粒子が「陰電子の霊」である。大きな大きな、まるで社会という世界において、力強い男性が走り回る、力弱き女性は家の中で走り回っている、ということの働きをも示しているのである。これが霊のスタイルである。

陰電子の霊と陽電子の霊がペアとなって結んでいる状態を「霊素」といい、全体の性質は陰であって、「陰の霊素」というべきもので、「霊体」は陰の霊素すなわち「水素の霊」でできていて純粋なものである。(なお薬の霊である不純水素が入るとその色は不純なほど「汚れ」であるため、汚れは黒いのが基本であるから、たとえば黒く付着する。また想念や罪といったところの霊体よりももっと細かい悪い霊は、細かいゆえに力が強く、まるで肉体を犯すX線のごとく、霊体を破壊するが如き状態にすらすることがある。掃除機で目に見えないチリや埃が集まると、不思議とネズミ色、さらに集めると黒っぽくなるものである。)

そうして、この「霊素」と「霊素」が結べば、「水素」という「物質元素」になるのである。つまりマイナス霊素と、マイナス霊素を組み合わせると、「土素」となるのであるから、物質化する。マイナス同士は反発するが、反発する以上に強い結びの力が働いているのである。もし電子を二つのマイナス霊素に分離すれば、霊化する。霊素同士が結んだら、どういう状態になるかというと、それは「粒子の状態がどうなるか」という以上に、「マイナス力」が強力になるということである。

体のスタイルを述べると、物体化していく世界ということは、「陰が活躍して走り回れるようになる世界」であって、「いかにマイナス力の強化が必要か」ということになる。そのスタイルを譬えれば、さきほど述べたように家の中の世界であって、今度は男性が家の大黒柱として中心にいて、女性が走り回れるかが、社会の個たる家庭の根本である。

こうして、女性が走り回っているが、科学でいう物質界の最高速度、すなわち光子の光速とほとんど近い速度で走り回っている状態になると、電子となると同時に、大きな力をもった男性は自転する陽として居座るようになる。プラス電荷を帯びるのが自然である。これが「水素元素」という一番基礎の原子である。

体の働きとは、霊の働きと比べて大変制限され、それは想念と現実の肉体では大きなギャップがあるのと同様であるが、制限されたのが家の世界という意味である。


以上は、あくまでも、土化できる霊素と原子の話であるが、ついでながら、魂の霊素について簡単に触れておくと、原子のスタイルとは異なるもので、もっと根本的なスタイルである。

魂にも陰陽があって、陽が主である。陽のなかにも陰があり、陰のなかにも陽があるのである。「陽陰」は躍動する幸福化愛の中にも静かなる自制したところの意思発動が主であって、「陰陽」は静かなる智の中にも躍動した親和愛があるのであって、さらには、「陽陰」と「陰陽」を結んだのが理想であって、しかし陽陰を主として結んだのが最上である。さらに大きさが利他愛が世界人類愛となっていくというように大きくなると最高級となってくるのである。低級になるほど、結合数も質も低下していくのである。現代はきちんと一つ一つが働いておらず、もちろんきちんと結べて重ねていっていないので、一つの良い働きがある程度である。






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